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マルコ15章1節から39節まで
1.歴史的事実としてのイエスの十字架刑
1.1.ポンテオ・ピラトという人
1.2.バラバ・イエス(マタイ27:16新共同)という人
1.3.アレキサンデルとルポスとの父、シモンというクレネの人(ローマ16:13)
2.人類を救う神の奇跡としてのイエスの十字架刑
2.1.人の罪のために...
2.2.預言の通りに...
2.3.「他人は救ったが、自分は救えない」
3.「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
4.「この方はまことに神の子であった」
夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。ピラトはイエスに尋ねた。
「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
イエスは答えて言われた。
「そのとおりです。」
そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。ピラトはもう一度イエスに尋ねて言った。
「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです。」
それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。
ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢にはいっていた。それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。そこでピラトは、彼らに答えて、
「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」
と言った。ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。そこで、ピラトはもう一度答えて、
「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」
と言った。すると彼らはまたも
「十字架につけろ。」
と叫んだ。だが、ピラトは彼らに、
「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」
と言った。しかし、彼らはますます激しく
「十字架につけろ。」
と叫んだ。それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、それから、
「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」
と叫んであいさつをし始めた。また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。
そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」
また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。そして、三時に、イエスは大声で、
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」
と叫ばれた。それは訳すと
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
という意味である。そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、
「そら、エリヤを呼んでいる。」
と言った。すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。
「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」
それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、
「この方はまことに神の子であった。」
と言った。
マルコによる福音書15章1節から39節まで(新改訳聖書)
みなさん、こんにちは。
ずっとマルコによる福音書を学んできました。 今
日で42回目、今日を含めてあと残すところおそらく2回だと思われます。
今日の聖書箇所をまず、読んでみましょう。
ここはイエスがいよいよ、十字架の上で処刑される場面です。
1節「夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。」
ピラトはローマの総督でユダヤ地方の管理を任されていました。
祭司長、長老、律法学者など、ユダヤの宗教的指導者たちがイエスの人気をねたんでイエスを殺そうとしますが、ローマの政治的な支配下にあったユダヤの指導者たちには死刑を行う権限がありませんでした。
そこで彼らはイエスをピラトに訴えます。
2節「ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」」
イエスはこれまでずっと、自分からはユダヤの王であるとは言いませんでしたが、この前の箇所で、すでに、ユダヤの指導者たちの前で、自分はキリストであることを明確に認めました。
キリストとは狭い意味ではユダヤ人の王のことを意味しますが、イエスは単なる政治的なユダヤの王となるべき人ではありませんでした。
並行するヨハネの福音書では、イエスはここでこのように答えています。
「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
イエスはユダヤ人の王であるだけでなく、全人類の王である方です。
3節「そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。ピラトはもう一度イエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです。」それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。」
「ピラトも驚いた」というところは、新共同訳聖書では「ピラトは不思議に思った」と訳されています。
ユダヤの指導者たちがどのような訴えをしていたのか、書かれていませんが、並行するヨハネの福音書ではイエスが「自分をユダヤ人の王であると自称した」とか「自分を神の子とであると自称した」という訴えがなされていたことが伝えられています。
6節「ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢にはいっていた。それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」と言った。ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」と言った。すると彼らはまたも「十字架につけろ。」と叫んだ。」
「彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだ」と言うと、前にもすでに「十字架につけろ」と叫んだように思われますが、ここは、新共同訳のように彼らはまず、「バラバを釈放しろ」と叫び、そして「十字架につけろ」とまた叫んだ、という意味でしょう。
14節「だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫んだ。それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。」
メル・ギブソンの映画「パッション」を観た方はいるでしょうか?
僕はルイースとDVDを借りて観たのですが、鞭打ちの場面になって、ルイースが「もうこれ以上観れない」と言い出したので、その後はまだ見ていないのですが、このむちで打つということがいかに残酷なものかパッションには描かれていますね。
聖書以外の文献ではそのころのローマのむち打ちの刑には骨となまりをむちの先につけたものが用いられ、むちによって皮膚に痛みを与えるだけでなく、肉をそぎとっていくような方法が用いられたそうです。
ヨハネによる福音書ではピラトはイエスを鞭打った後、もう一度群集に対し、ピラトはイエスに罪を認めないことを宣言します。
ピラトはおそらくイエスを鞭打つことで群集が満足して、イエスを十字架刑に処さなくてもすむようにできるだろうともくろんでいたようですが、群集はイエスが鞭打たれた後もイエスの十字架刑を望みました。
16節「兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、それから、「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」と叫んであいさつをし始めた。また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだりしていた。彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。」
このシモンという人についてはまたアウトラインの1.3.で見ますが、クレネは北アフリカにあった街でエルサレムを中心とするユダヤ人にとってはそれは「いなかから」といわれるのもうなずけるでしょう。
22節「そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。」
没薬を混ぜたぶどう酒には痛み止めの効果があって、イエスに付き従っていた女性たちがイエスの痛みを和らげようとイエスに与えようとしたが、イエスはあえて痛みを和らげることなく十字架での苦しみを経験された、と解釈されることもありますが、ここは文脈から、ぶどう酒を与えたのはどうやら女性たちではなく兵士たちのようですね。
実は没薬を混ぜたぶどう酒というのが本当に痛み止めの効果があるのかどうか、疑問だそうです。
並行するルカの福音書によると兵士たちがイエスをあざけるために酸っぱいぶどう酒をイエスに差し出した、とあるので、ここもおそらくは、兵士がイエスをからかっているところであるのではないかと考えられます。
24節「それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。彼らがイエスを十字架につけたのは、午前九時であった。イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王。」と書いてあった。」
ヨハネの福音書によると、これはヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていたそうです。
ユダヤの指導者たちは「ユダヤ人の王」とは書かずに「ユダヤ人の王と自称した」と書いてください、とピラトに願いましたが、ピラトは聞き入れませんでした。
27節「また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」
ヨハネによる福音書によれば、イエスは人々に「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう」と言ったことが伝えられています。
「この神殿」とはヘロデが46年かけてまだ完成しなかったヘロデの神殿のことを言っているのではなくて、イエス自身のからだのことであったと、ヨハネは言っていますが、その言葉を聞いた人たちには、イエスの言葉の意味が分からず、イエスをあざける材料にしかなりませんでした。
31節「また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。」
どのような自然現象で全地が暗くなったのか説明されていません。
これは日食が起こったという人もいますが、日食は普通新月のときに起こるので、満月の時期である過越しの祭りの時には普通起こりません。
むしろ厚い雲か砂嵐が太陽の光をさえぎったと考えられます。
注解書によれば、そのような現象がユダヤの地域では起こることもあるそうです。
34節「そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。」
新約聖書はギリシア語で書かれていますが、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」はそのころのヘブル人の話し言葉であったアラム語で、マルコはアラム語を話さないヘブル人でない人たちのために、この言葉を訳しました。
この言葉が意味するところはまた、アウトラインの3番にてみていきたいと思います。
35節「そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる。」と言った。」
注解書によれば、これはおそらく、イエスが「エロイ」すなわち「わが神」と言っているのを「エリヤ」と聞き間違えたのではないか、と言われています。
エリヤは旧約聖書の預言者ですが、死なずに天に昇り、終わりの日のくるまえに再び現れ、この場合には正しい人を苦しみから救う、と信じられていました。
36節「すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」
ヨハネの福音書によれば、これはイエス自身が、聖書が成就するために「わたしは渇く」と言い、それを受けて人々は海綿に酸いぶどう酒を含ませイエスに差し出したと言われています。
37節「それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った。」
百人隊長とはローマの士官で百人の兵士の隊長を勤める人です。
おそらくここではイエスの十字架刑を指揮していたのではないかと思われますが、彼はイエスの十字架での死に方を見て「この方はまことに神の子であった」と言いました。
それでは、今日の箇所を二つの観点から見て行きたいと思います。
まず、アウトラインの1番、歴史的な事実としてのイエスの十字架刑です。
日本の仏教的な考え方、また神道的な考え方では、過去に果たしてなにが起こったのか、ということは神を信じるということとなんの関係もないとされているのではないかと考えます。
このお守りをもっていれば、自分は危険から守られる。
供養をすれば、亡くなった人も浮かばれる。
お祓いをすれば悪いことも起こらない。
そのような信仰は過去になにが起こったのか、ということとはなんの関係もないですね。
ですが、クリスチャンの信仰は歴史的に起こった出来事に依存しています。
すなわちイエスが十字架の上で死んだ、ということです。
学者によっては、イエスなどと言う人は存在しなかった、とか、十字架で処刑などされなかった、という人もいて、特に19世紀の後半から20世紀の前半にかけて、福音書の伝えていることは、ほとんどが伝説、もしくは作り話で事実に基づいていない、と言われることがありました。
最近では福音書はむしろ歴史的な事実を伝えるものとして信頼できるという歴史学者が少なくないようですが、それでも、時として、福音書の記録?あれは2世紀のクリスチャンの作り話だよ、という意見が聞かれることがあるでしょう。
しかし、今日のこの箇所は偏見を捨てて読んでみれば、大変リアルに迫った記録が残されているということが理解されると思います。
まずポンテオ・ピラトという人ですが、イエスと直接関わった人のなかで政治的、歴史的に一番影響力のあった人がおそらくポンテオ・ピラトだったのではないかと考えられます。
1世紀にピラトがローマの地方総督としてユダヤを管理したこと、またそのピラトの下でイエスが十字架刑に処せられたことは、ユダヤの歴史家ヨセフスの記録、またローマの歴史家タキトゥスの記録に残されています。
問題はそのような記録は原本が残されているわけではなくて、写本だけが残されていて、後世のクリスチャンたちがそのような歴史家たちの記録に手を加えたのではないかと批判されることです。
中世のときキリスト教が強大な政治力を得ましたが、言論の統制、書物の統制などを経て、キリスト教に不利な記述はすべて書き換えられたのではないか、などと批判されることがあります。
そんな書き換えをしても後々ばれてしまうのに、というような思慮の足りない書き換え−ってよく考えて書き換えすればいいってものではもちろんないのですが−たとえどんな不利なことであったとしても真実を重んずるクリスチャンとしては書物を書き換えるなどということはするべきではなかったはずですが、事実、残念なことに、写本を比べてみると細かなところで違いがあったり、なるほど、軽率なクリスチャンが書き換えをしたようだと認められる事実もあります。
そのようなわけで、ポンテオ・ピラトという人がローマの総督としてユダヤを管理したということさえ、それはクリスチャンのでっちあげだという批判がされたこともあったわけですが、1961年にエルサレムの北西100キロほどのところにあるカイザリアにて紀元1世紀のもとの認められる石碑が発掘されて、その石碑に部分的ですが、ポンテオという人がユダヤの総督であったことが記されていました。
週報の裏側にクリスチャンが信じていることを簡潔にまとめた使徒信条というものが書かれていますが、この中でわざわざ「ポンテオ・ピラトのもとで」とイエスが苦しみにあったときの状況がいわれています。
2世紀中ごろ、イエスが歴史的に存在した人物であることを認めない人たち、いわゆる異端との対決の中で、この「ポンテオ・ピラトのもとで」と言う歴史的事実を強調する要素をクリスチャンたちは使徒信条に与えたのではないかと言われています。
アウトラインの1.2.ですが、バラバという人が今日の箇所には登場しています。
この箇所が歴史的事実を伝えていない、という批判の一つに、ユダヤの総督が過越しの祭りのときに囚人を一人解放することが慣習となっていた、などという記録が聖書以外に残されていない、という指摘がされます。
ローマの慣習や法律を記録した書物は幾つかあるのですが、そのどこにもこのような慣習が記録されているのは見つかっていないそうです。
それでは、この箇所はクリスチャンの作り話なのでしょうか?
新共同訳、マタイの福音書によれば、彼の名前はバラバ・イエスだったそうです。
バラバは「父の子」─Father’s Son ─という意味だそうです。
「父の子」なんて、なんともぱっとしない意味、言ってみれば誰だって、父の子ではない人はいないはずですが、例えばイエスの弟子ペテロがもともとはバルヨナ・シモン、ヨナの子、シモンであったように、バラバは父の子、イエスであって、むしろイエスというのが彼に与えられた名前であったのでしょう。
イエス、という名前はヘブル人にとってはとくに特別な名前でもなくて、イエスはギリシア語、ヘブル語ではヨシュア、「神は救い」という意味ですが、英語でヨシュアという名前の人も知り合いにはいるのではないでしょうか?
新約聖書にはキリストであるイエスのほかにも何人かイエスが登場しますが、バラバも実はイエスという名前でした。
ですから、8節で、群集たちがバラバを釈放してくれとピラトに要求したとき、おそらく群集たちはバラバ・イエスを釈放してくれ、と言っていたのかもしれません。
イエスと聞いたピラトはイエスとはユダヤの王と自称したイエスのことであると知ってか知らずか受け取って、8節で群集が「バラバを」と言っているのに9節で、ピラトは「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか」と言うことにつながると考えられます。
福音書の写本にバラバと言われていたりバラバ・イエスと言われていたりするのはおそらくは、バラバの本当の名前はバラバ・イエスであったのに、写本を造った者がバラバ・イエスではややこしいと思ったのか、人殺しをした者にイエスと言う名前を残すのを嫌ったのか、なんらかの理由でイエスという部分を取り除いてしまったのだと考えられます。
しかし、逆に考えると、もしこの話が実はもともとは作り話なのであったなら、初めからバラバ・イエスなどというややこしい名前にはしなかったでしょう。むしろ、事実は、彼の名前はバラバ・イエスであったのであって、確かにキリストと呼ばれているイエスではなく、バラバ・イエスがピラトが定めた慣習に従って釈放されたのでしょう。
アウトラインの1.3ですが、この箇所にはアレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネの人が登場します。
兵士たちはイエスの十字架をこの人に負わせたわけですが、それはいったいどういうわけでしょうか?
十字架を負わせただけなら、兵士たちは群集の一人にイエスの十字架を負わせた、と言えばいいだけのはずですが、なぜわざわざだれだれの父でなになにという名のどこどこの人とまで言ったのでしょうか?
直美と安娜と諾亜の父でシドニーの肇と言う人といえば世界でただ一人、特定できてしまうでしょうね。
ピラトはイエスを釈放する目論見で群集を満足させるためにイエスを鞭打ちました。
さきほども言いましたが、ローマの鞭打ちは残酷なもので、おそらくイエスは自分では十字架を負えないほど肉体的に弱まってしまっていたでしょう。
ですが、十字架をイエスが負わずに、他の人が負ったという事実は、イエスが前にマルコ8章34節「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」と言ったこととちょっと相容れないですね。
「自分の十字架を負い、ついて来なさい」といったイエス自身がどのような理由であれ自分の十字架を負わなかったのはなにかこっけいです。
もし作り話なのだったら、イエスが自分で十字架を負わなかったことは言わないでおきたいものではないでしょうか?
マルコによる福音書はもともとマルコがローマにてローマにいたクリスチャンのために書かれたものと言われています。
今開いているマルコによる福音書にはしおりを入れていただいて、ローマ人への手紙16章13節を開いてください。289ページです。
ここはこの手紙の著者であるパウロがローマにいるクリスチャンに向けて挨拶をしているところですが、そこには「主にあって選ばれた人ルポスによろしく」と言われています。
ということはおそらくローマにいたクリスチャンの間ではルポスという人がよく知られていて、その父シモンがイエスの十字架を負ったということも知られていたのではないかと思われます。
この人は自分の父が実に、実際に、イエスが十字架刑に処せられたときエルサレムにいて、イエスの代わりに十字架を負ったということを証言できる人だったのかもしれません。
興味深いのは、パウロはここで「選ばれた人」と言っていることです。
何のために選ばれたのか?クリスチャンは誰でも神によって救われるようにと選ばれた者ですが、特別にここで選ばれた人ルポスと言っているのは、もしかしたら、ルポスの父、シモンがイエスの十字架を負ったということを証言するために選ばれた、という意味だったのかも知れません。
いかがでしょうか?
この記録は実にリアリスティック、現実性を負って過去に起こったことの証言をしているように、僕には思われます。
さて、イエスが十字架上で処刑されたという歴史的事実をこの箇所は真実味をもって、伝えているわけですが、その出来事はいったい私たちになにを教えているのでしょうか?
ある場合に、それは罪を犯さなかったイエスが、ののしられてもののしりかえすことなく、打ちのめされても不平を言わずに、自分の運命に従った、人としての尊厳さを表しているなどと言われます。
ある場合に、例えばルカによる福音書によれば、イエスは自分を拷問し処刑する人たちのために「神よ、彼らをお赦しください」と祈りますが、そこまでイエスは自分を捨て、他の人のために人生を生きた、と言われます。
それらの教えは確かに、この箇所で教えられている一面を表しているとは思いますが、しかし、この箇所がまず第一に教えていること、それはなんでしょうか?
それはイエス自身がすでに言ったとおり、マルコ10章45節「多くの人のための購いの代価として自分のいのちを与えるために」イエスが十字架にかかったことでしょう。
それは人を救う、神の奇跡としてのイエスの十字架刑です。
アウトラインの2.1ですが、この箇所によれば、イエスはなぜ殺されたでしょうか?
それはユダヤの指導者たちがイエスの人気をねたんだからですね。
イエスが、彼らの矛盾、彼らが神を愛すると口では言っていながらその神の言葉に聴き従っていない矛盾を正しく批判したのに、彼らはそれを受け入れず、イエスを殺そうとしました。
ピラトは、イエスには殺されるような罪がないと分かっていましたが、自分の地位を守り、群集の機嫌をとるために、イエスを殺しました。
群集は、自分たちが何をしているのかも分からず、無責任にイエスを「十字架につけろ」と叫びました。
ローマ兵は、自分たちに課せられた任務を遂行した、と言えば聞こえはいいですが、しかし、彼らはなにをしたでしょうか?死に行くイエスを笑いものにし、あざけり、苦痛を与えることを楽しみました。
イエスが殺されたのは、人の罪のためです。
実にイエスは、このときこの場所にいたこの人たちの罪のためだけでなく、すべて生きる人、生きた人の罪のために罪のゆえに死にました。
イエスが人の罪のために死んだことは、この箇所で、イエスが実際に人の罪のゆえに十字架につけられたことによって象徴されていると考えます。
アウトラインの2.2ですが、イエスが人の罪のために死ぬことは、イエス自身がなんども預言してきたことでした。
8章31節「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺されなければならない」
9章31節「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。」
10章33節「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。」
10章45節「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための購いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」
イエスが人の罪のために死ぬことはイエス自身が預言しただけでなく、旧約聖書の預言者たちによっても預言されていました。
イザヤ書53章7節「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」
詩篇22篇19節「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」
イエスが人の罪のために死ぬことは神の人を救うための計画でした。
そのために神は預言者を通して預言し、神はその預言の通りに、イエスを人の罪のために殺しました。
アウトラインの2.3.ですが、31節で人々が「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから」と言っているのは実に皮肉めいたことです。
もしイエスがこのとき自分を救うために十字架から降りたのなら、イエスが私たちの罪を償うために死ぬことはなく、人は誰もその罪を赦されないまま、救われないままであったでしょう。
イエスが「他人は救ったが、自分は救えない」とはその通りです。
イエスは他人を救うために自分を救うことをしなかったのです。
34節、イエスは叫びました。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」 これは詩篇22篇1節と同じ言葉です。 詩篇22篇は「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という嘆きの言葉からはじまりますが、その結論は、この詩篇がダビデの賛美の歌、と言われているように、最終的にはダビデが神により頼んだことによって報われることが言われています。
ですから、イエスが「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と言ったのは、実は神に見捨てられたことを嘆いたのではなく、その後に続く神への信頼を意味している、と言われることもありますが、しかし、僕はこのとき、確かにイエスが神に見捨てられたと、考えます。
詩篇22篇の通り、イエスは決して、神への信頼を失わなかったでしょう。
しかしイエスは確かにこのとき、神に見捨てられました。
罪を犯さなかった、神に「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ」と言われたイエスはしかし、十字架の上で神に見捨てられました。
なぜでしょうか?
なぜなら、それが、イエスが言った、多くの人のための購いの代価として自分のいのちを与えることであるからです。
イエスは単なる人ではなく、神の子、いえ子なる神が人を救うために人としてこの世界に現れた人です。
父なる神と子なる神とは永遠の関係を持っていました。
その関係がこのとき、十字架の上で、イエスが私たちの罪の罰を負うことによって、切り離されました。
33節、「全地が暗くなっ」たのは人の罪に対する神の怒り、神の裁きを象徴しているものと考えます。
38節、「神殿の幕が」下からではなく「上から下まで真っ二つに裂けた」のは、あたかも父なる神が子なる神との関係を断たれたことの痛みを、象徴しているのではないかと考えます。
神殿の幕はもともとは罪のある人間が罪のない神にそのままでは近づけないことを象徴するものでしたが、この神殿の幕が真っ二つに裂けたということは、罪ある人がイエスの十字架上での死によって、神に近づけるようになったことをも象徴しているかもしれません。
今日のこの箇所は人の罪の結果がどのように残酷なものであるのか、「他人は救ったが、自分は救えない」とイエスをあざわらった人々のおろかさ、ねたみから、また自己保身からイエスを死に追いやった人のみにくさ、そのようなものを見せ付ける箇所ですが、しかし、たった一つ、人がとるべき正しい応答のモデルが示されている箇所でもあります。
それは、39節「イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった。」と言った」とあることです。
新共同訳聖書では「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた」とあります。
このローマ兵である百人隊長がいったいどのような意味でこの言葉を言ったのか、それは分かりません。
日本人と同じように、ローマ人も普通はたくさんの神々を信じていました。
そのローマ人が、「神の子であった」と言っても、神々のうちの一人の神の子、それは「彼は本当は正しい人であった」という程度の意味でしかない場合もあるでしょう。
百人隊長がどのような意味でこの言葉を言ったのか分かりませんが、マルコはこの百人隊長の言葉に、人がとるべき正しい態度を示していると思われます。
偏見を捨て、イエスと向き合い、イエスの言葉を聞き、イエスの行いを見るのなら、人の正しい応答は、「この方はまことに神の子であった」であるでしょう。
みなさんはどうでしょうか?
イエスがこのように十字架に死んだのを見て、「もし彼が本当に神の子なら、人となった神であるのなら、人を死からよみがえらせるようなことをしたというのなら、いろいろな奇跡を行ったというのなら、なぜ、十字架から降りて自分を救おうとしないのか」と言うでしょうか?
無責任に「十字架につけろ」と叫んだ群衆と同じように、自分には関係のないこと、ただ周りの大勢に従って、今やりたいと思ったことをやるだけ、というでしょうか?
ピラトのように自分の今の地位、自分の行き方を変えたくないがために、それが正しくはないと理解しつつも、結局はイエスを無視するでしょうか?
それとも、「この方はまことに神の子であった」と認め、彼がもたらした自分の罪の赦し、神に再び受け入れられるこの救いにより頼むでしょうか。
祈りましょう。
今日、イエスに頼って、イエスが自分の罪をおって、十字架に死んだことを信じるのなら、一緒に次のように祈ってください。
神様
わたしはあなたを無視して、あなたに逆らって生きてきました。
わたしはあなたに受け入れられる資格がありません。
どうか赦してください。
それなのにあなたはイエスをこの世界に送り、わたしの代わりに彼を罰してわたしの罪を赦してくださったことをありがとうございます。
わたしに希望が与えられるようにと、イエスがよみがえられたことをありがとうございます。
どうかこれから、あなたに聞きしたがってイエスを自分の神として生きていけるように、わたしを変えてください。
イエスの名によって祈ります。
アーメン
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