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「王を迎えるには」

マルコ14章1節から11節まで

1.もし王様」を迎えるとしたら?
2.過越の祭りと種なしパンの祝い
3.祭司長、律法学者たちの策略
4.女の人と香油の話(ルカ7:36−50、ヨハネ12:1−8)
5.なぜ女の人はイエスの頭に香油を注いだのか?
6.なぜ弟子たちは「むだ」と考えたのか?
7.むだ−>記念
8.王を迎えるには


さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕え、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。彼らは、

「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」

と話していた。イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。

「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」

そうして、その女をきびしく責めた。すると、イエスは言われた。

「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。

マルコによる福音書14章1節から11節まで(新改訳聖書)

みなさん、こんにちは。

諾亜が生まれてから2ヶ月半ほど経ちますが、やっと5時間、6時間ほど続けて寝てくれるようになって、少し楽になりました。

最近は─機嫌のよいときは、ですね─話しかけると笑って反応するようになりましたが、もちろん、おなかがすいたり、眠かったり、疲れたり、多分飽きたりすると、泣くんじゃない、と言ったって泣くことでしかコミュニケーションが取れません。

早く、2歳か3歳くらいになって、言葉でコミュニケーションができるようになるのが待ち遠しいです。

今はまだ、諾亜が泣いては抱っこしてあやして、ミルクがほしいのか、眠いのか、文字通り手取り足取り、僕たちは諾亜に仕えるわけです。

まるで家では「諾亜が王様」という感じですが、みなさんは「王様」というような身分の人を家に迎える、という経験をお持ちでしょうか?

1.もし「王様」を迎えるとしたら?

なかなか、そういう経験のある人はまれであると思います。

僕ももちろん、そんな経験はないわけです。

「王様」と聞いて、僕がすぐに連想するのが、「裸の王様」です。

「王様」と聞いて「裸の王様」を連想する、そういう人はいるでしょうか?

「裸の王様」はアンデルセン物語の一つですが、あるところに新しい服が大好きな王様がいました。

あるとき、二人の詐欺師が布織職人という触れ込みで王様の前にやってきて、自分たちは馬鹿には見えない不思議な布地を織る事ができる、と言います。

新しい服が大好きな王様は大喜びで注文しますが、できたはずの服が王様には見えません。

王様はうろたえますが、馬鹿だと思われてはまずい、見えもしない服を王様は褒めちぎります。

王様の家来たちにも服は見えませんが、王様が褒めているのに、自分には見えない、とは言えずに、同じように服を褒めます。

そのうち、王様は見えない服を着て、パレードに望みますが、見物人たちも馬鹿と思われてはまずいと思いつつ、見えない服を褒めます。

しかし、その中の小さな子供のひとりが、こう叫びました。「王様は裸だよ!」

その後どうなるのか知らないんですが、この話は、王様というものは間抜けで見栄っ張りという、という印象を与える物語です。

こういう話を聞いていると、王様という人はなんだか間抜け、というネガティブな印象をもってしまうわけですが、確かに歴史を見てみれば、世の王、として権力を持った人たちの中には、その権力を自分の国の人々のために用いず、自分の欲のために用いた人たちも多々、いたわけです。

もしかしたら、私たちは「王」と聞いただけで、ネガティブな印象を持ってしまうのではないでしょうか?

イエスは、神によって選ばれた、世界のすべての人のための「王」です。

イエスが地上にいたとき、いったいどのような「王」であったのか、これまでマルコの福音書を通してずっと学んできました。

イエスは人々に、神に立ち返りなさい、神と人とを愛しなさい、と教え、不思議な力で人々の病気を治し、悪霊を追い出し、自然を従わせました。

イエスは裸の王様と違って間抜けでも見栄っ張りでもありませんでした。

イエスはまた、そのころユダヤ人たちの指導者であった祭司長、律法学者たちを非難しました。

エルサレムの神の宮─そこはすべての人たちにとって神と出会う場所でしたが、そこ─を祭司長たちは、人々が商売をして、自分たちが利益を得るような場所にしてしまいました。

イエスはそのような祭司長たちを非難しましたが、彼らは悔い改めるどころか、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した、とありました。

またイエスは律法学者たちを非難してこう言いました。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」

神の民、ユダヤの指導者で、民を神へと導く役割を持っていたはずの祭司長、律法学者たちは、神のことよりも、自分の利益、自分の見栄に専念し、その役割から完全に外れた者たちとなってしまっていました。

もしイエスがただ彼らを非難して、そして人々がそのイエスの言葉に耳を傾けなかったなら、祭司長、律法学者たちもなにも恐れることはなかったでしょう。

しかし、イエスは人々の人気を集めて、人々はイエスの言っていることを聞き、そのとおりだ、と同感していたでしょう。

ですから、祭司長、律法学者たちはイエスを恐れ、そして、実に短絡的ですが、この邪魔者のイエスをどうにかして殺してしまおう、としたのでした。

2.過越の祭りと種なしパンの祝い

それでは、今日の箇所をもう一度読んでいきましょう。

マルコによる福音書14章1節、新改訳聖書の87ページです。

1節、「さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕え、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。」

過越の祭りと種なしのパンの祝い、というのはユダヤ人の記念日で今から3300年ほど前に、そのころエジプトを治めていたファラオのもとで、奴隷として苦しめられていたユダヤ民族を、神が預言者モーセを通して救い出した史実に基づきます。

過越の祭り、というのは、神は神に聞き従わないエジプトのファラオに対して10の災いをもたらしましたが、その最後の災いは人間から家畜に至るまで、「すべての初子(初めに生まれた男の子)を殺す」というものでした、ユダヤ人はあらかじめ戸口に子羊の血を塗ることでしるしをつけ、印のあった家には災いが及ばなかった、すなわち、過ぎ越されたことによります。

種なしパンの祝いは、この過越が起こった後、ユダヤ人たちは急いでエジプトを離れなければなりませんでしたが、そのときパンに種を入れて膨らませている時間がなく、パン種の入れていないパン菓子を作りエジプトを出たことによります。

神がユダヤ人をエジプトから救い出したことを思い返すようにと、過越の祭りと種なしパンの祝いを代々守るようにと旧約聖書で教えられています。

ユダヤ人にとって、この記念日は、神がユダヤ人を神の民として選び、奴隷から自由へと救い出した、喜びの記念日です。

2000年前のイエスの時代にも、また現在でも、ユダヤ人たちはこの記念日を年に一度、祝います。

3.祭司長、律法学者たちの策略

アウトラインの3番ですが、その記念日が迫っているときに、ユダヤの指導者であった祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕らえ─新共同約聖書では「計略を用いて捕らえ」とあります、またある訳では「人々に知られないうちに」という意味もあるそうです、そのように秘密裏にどうしたらイエスを捕らえ─て、殺すことができるだろうか、とけんめいであった、と言われています。

そのころ、ユダヤ人たちはローマに支配されていましたが、この過越の祭りの時にユダヤ人たちはエルサレムに集まるそうです。

過越の祭りが昔エジプトでの奴隷の状態から開放された記念日であることから、ユダヤ人たちの民族意識が高まるときで、ローマに反対する暴動が過越の祭りのときに何度か起きたことが記録されています。

そのような暴動を祭司長、律法学者たちも恐れたのでしょう。

2節、「彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」と話していた。」と言われています。

続く3節からは話が変わってある女の人がイエスに香油を注ぐ話になります。

よく見てみると、10節からは、また話が祭司長たちの策略の話に戻っているように見えます。

マルコによる福音書を見てくるときに、このようにマルコはある話で別の話をサンドイッチのように挟んで、内側の話と外側の話を関連させることを見てきました。

ここでもそのサンドイッチの構成がなされているようです。

そのようなわけで、ここではまず、女の人の話を飛ばして、10節と11節も読んでみましょう。

10節、「ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。」

「祭りの間はいけない」と言っていた祭司長、律法学者たちでしたが、ユダというイエスに通じているものがイエスを売ろうとして来たことによって、機会があれば祭りの最中でもイエスを捕らえることとなりました。

なぜイエスの十二弟子の一人、ユダがイエスを裏切ったのか、はっきりしたことは分かりません。

ここでは「イエスを売ろうとして」と言われていて、金のため、とも言えそうですが、どうでしょうか。

このことについてはアウトラインの最後でまた見てみたいと思います。

4.女の人と香油の話(ルカ7:36−50、ヨハネ12:1−8)

アウトラインの4番ですが、3節から9節は女の人がイエスに香油を注ぐ話が伝えられています。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書にはそれぞれ、女の人がイエスに香油を塗る話が伝えられています。

マタイとマルコに伝えられている話はほとんど同じで、これは同じ出来事を伝えていることが認められますが、ルカとヨハネに伝えられている話は少しずつ、違いがあるようです。

今開いていいるマルコによる福音書にはしおりをしていただいて、ルカによる福音書7章36節を開いてください。新改訳聖書の113ページになります。

さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、

「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」

と心ひそかに思っていた。するとイエスは、彼に向かって、

「シモン。あなたに言いたいことがあります。」

と言われた。シモンは、

「先生。お話しください。」

と言った。

ルカによる福音書7章36節から40節まで(新改訳聖書)

ここまでで良いでしょう。興味のある方は後で続けて読んでいただきたいですが、この箇所と、先ほど読んでいただいたマルコの箇所と何が似ているでしょうか?またはなにが違うでしょうか?

似ているところは、女の人が香油を持ってきてイエスに塗った、というところと、その家の主人の名前がシモンであった、ということくらいですね。

ある人にとってはこの話と、マルコに伝えられている話のもともとの出来事は唯一つで、しかし、マルコとルカによってそれぞれ違う意味を持って伝えられた、という風に考えられるようですが、しかし、この箇所はどう見ても違う出来事であったと僕には考えられます。

問題は家の主人の名前がシモンというまったく同じ名前であったことくらいですが、しかし、当時、シモン、という名前の人はたくさんいましたね。

イエスの弟子ペテロももともとはシモンという名前で、イエスによって「岩」という意味のギリシア語で「ペテロ」、アラム語で「ケパ」というあだ名がつけられました。

僕の勤務する CSIRO の Wireless Technologies Laboratory には50人ほどのスタッフがいるのですが、イアンという名前の人が4人、ジョンという人が3人、デイビッドとアレックスという人が2人いて、実にややこしいです。

イエスの時代にも同じ名前の人が何人もいて結構、混乱があったのではないかと思います。

このルカの箇所のシモンと、マルコの箇所のシモンも別々のシモン、この女の人も、出来事も別々の出来事であったでしょう。

しかし、続けてヨハネによる福音書12章を見てください。新改訳聖書の186ページになりますが、この箇所はどうでしょうか?

1節から読みます。

イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。

「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」

しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。イエスは言われた。

「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」

ヨハネによる福音書12章1節から8節まで(新改訳聖書)

この箇所とマルコの箇所ではどうでしょうか。

まず似ているところはどんなところがありますか?

などですね。

それでは違うところはどんなところでしょうか?

でしょうか。

らい病人シモンというのが実はマルタ、マリヤ、ラザロのお父さんのことであったとか、もしくは親戚かマルタが給仕するほど親しい友人か、はっきりしたことは分かりませんが、しかし、そこは問題なくマルコの伝えていることとヨハネの伝えていることのつじつまが合うと思うのですが、一番の問題、とされるのが、マルコでは過越の祭りの2日前、ヨハネでは6日前、と言われていることです。

さて、だから、このマルコの箇所とヨハネの箇所は二つの別の出来事を伝えているのだ、と言う人もいますが、これは、普通どう見ても同じ出来事を伝えていると考えるほうが自然でしょう。

それではどうして二日前、と6日前、という違いがあるのでしょうか?

マルコによる福音書に戻っていただきたいのですが、新改訳聖書の87ページです。

この箇所をよく見てみると、2日後に迫っていた出来事は、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕え、殺すことができるだろうか、とけんめいであった、というところですね。

そしておそらくは、イスカリオテ・ユダはが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った日でもあるかもしれません。

ですが、3節からの箇所は、これが必ずしも、過越の祭りの二日前に起こったことをここで伝えているのでなく、実は6日前に起こったことをここで伝えても、別に矛盾はない、ように思われますが、いかがでしょうか?

ある人にとっては、物語というものは時間にそって語られるべきで先に語られたことは先に起こったこと、後に語られたことは後に起こったこと、というような読み方しかできない場合もありますが、しかし、マルコによる福音書は必ずしもそんな時間にきっちりとした書き方をされてはいません。

そのことを証言している人にパピアスという人がいます。

パピアスは紀元1世紀半から二世紀の初めに生きた人で、異論もありますが、ヨハネの福音書を書いたイエスの十二弟子の一人、ヨハネ、そのヨハネの弟子であったと僕は考えている人です。

このパピアスという人は5つの本を書いた、とされていますが、残念ながら現在ではパピアスのどの本の写本も残っていません。

彼の書いたことは、2世紀、3世紀に、まだ残っているうちに読んで、パピアスの本の箇所を引用した人たちの本の写本から分かる限りです。

クムランの死海文書が二十世紀になってから発見されたように、いつか、パピアスの写本も発見されると良いのに、なんて思ってしまいますが、このパピアスの本の引用文から、イエスの弟子、ヨハネがマルコの福音書について言ったことが知られます。

それは次のようです。

「これも長老が言っていたことだ─長老というのはヨハネのことです─。マルコはペトロの通訳者であって、記憶しているかぎりのことを、正確に書いた、ただし、主によって言われたことにしろ為されたことにしろ、順序立ててではない。なぜなら、主から〔直接〕聞いたのでもなく、これに付き従ったのでもなく、〔彼が付き従ったのは〕ペトロであって。その結果、マルコは思い出すままに書いたが、何らの過ちも犯さなかった。というのは、聞いたことは何ひとつ取り残すことなく、あるいは、そのさいに虚言を加えることもないよう、その一点に配慮したからである。」

ここでは二つのことが言われています。

ヨハネによれば、マルコの書いたこと、すなわち、マルコによる福音書は、イエスのしたこと、イエスの言ったことが正確に記されている、ということです。

そしてもう一つは、それが必ずしも順序立ててではない、ということです。

「順序だててではない」というのは、なにかつながりのない物語を順序なく並べたことを指すかもしれませんが、マルコによる福音書には確かに物語の順序というものはありそうですね。

そうではなくて、これは時間の前後が必ずしも順序だっていない、という意味なのではないか、と考えます。

確かにヨハネによる福音書とマルコによる福音書を比べてみると、物語の順番が違っているところがいくつか目に留まります。

ヨハネによれば、ヨハネの物語の順番が実際に起こった順番で、マルコは時間の順序にとらわれず、物語を構成した、ということが考えられます。

そのようなわけで、この箇所も、実際に起こったのは過越の祭りの6日前、その出来事をマルコは祭司長、律法学者たちがイエスを殺そうと相談した二日前の出来事にはさんで語った、ということかもしれません。

長くなりましたが、言いたかったことは、このマルコによる福音書で伝えられている出来事とヨハネによる福音書で伝えられている出来事は同じ出来事である、ということです。

すなわち、この箇所の女の人はマルタ、ラザロの姉妹、マリアであったでしょう。

5.なぜ女の人はイエスの頭に香油を注いだのか?

そのことを踏まえて、3節から読んでみましょう。

イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。

「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」

そうして、その女をきびしく責めた。すると、イエスは言われた。

「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。」

マルコによる福音書14章3節から8節まで(新改訳聖書)

ヨハネの福音書では、マリヤはイエスの足に香油を塗った、とだけ言われていますが、この箇所にはイエスの頭に香油を注いだ、とあります。

なぜ、マリアはイエスの頭に香油を注いだのでしょうか?

それはイエスがキリストであったからですね。

ギリシア語でキリスト、ヘブル語でメシア、それは「油注がれた者」という意味です。

神に選ばれたユダヤの王は預言者によって頭に油を注がれ、キリスト、メシア、神に選らばれた王となりました。

マルコはこの箇所で、イエスがまた、神に選ばれた王として、頭に油を注がれた、ことを伝えたのでしょう。

果たして、マリアが、このとき、イエスの頭に油を注ぐことがどのような意味であったのかを知っていたかどうか、分かりません。

ルカによる福音書によれば、マリアはマルタよりもイエスの言葉をよく聞く人で、そのマルタはヨハネによる福音書でイエスのことを「あなたはキリストです」と言っています。

弟子たちにはまったく理解できませんでしたが、もしかしたら、マリアはイエスがキリストとして油を注がれるにふさわしい者、そして、イエスがなんども予言しているように、イエスがこれから死のうとしていることを理解していたかもしれません。

ですから、このときに、このできるときに、イエスに自分のできる限りのことをしたのではないかと考えます。

6.なぜ弟子たちは「むだ」と考えたのか?

しかし、弟子たちにはマリアの行いがまったく分かりませんでした。

ここで用いられたナルドの香油は300デナリ以上の価値がある、と言われました。

1デナリは大体1日分の労働賃金、300デナリといえば、大体一人の労働者の年収に等しい額です。

すなわち、何百万円、新車が買えてしまうような額の香油がこのとき、イエスに用いられたのです。

その意味が分からなかった人にはまったく、なんて「むだ」をするんだ、と考えたでしょう。

ここで「貧乏な人たちに施しができたのに」と言われているのは、過越の祭りの時期には施しをする習慣があって、大変自然なことだそうですが、しかし、ヨハネの福音書によれば、ユダがこのように言ったのは、実は貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである、と言われています。

もしイエスが神に選ばれた王で、そしてこの王がすでにマルコの福音書10章45節で言われたように「多くの人のための購いの代価として、─すなわち、人が神に背いたことの罰を彼が代わりに受けるために─自分のいのちを与え」ようとしているのだとしたら、何百万円は果たして「むだ」といえるでしょうか?

「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら─すなわち創り主である神との関係をなくしてしまったら─、何の得がありましょう。」とイエスはマルコによる福音書8章36節で言われました。

この、人と神との関係をイエスは修復しに来たのです。

そのことを理解しなかった弟子たちには、マリアの行いがただのむだにしか見えなかったでしょう。

7.むだ−>記念

しかし、弟子たちもしくはユダによって「むだ」と言われた、このマリアの行いは、イエスによっていつまでも語られる「記念」と言われました。

9節、「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」

イエスの言われたとおり、今日、私たちもマリアのこのときの行いを思い起こすことができます。

8.王を迎えるには

まとめましょう。

イエスは神に選ばれたすべての人々のための王でした。

しかし、この王は人に仕えられるためでなく、かえって仕えるために、そして私たちが犯した罪のために、自分のいのちをささげるために来ました。

イエスは言いました。マルコによる福音書の10章42節からですが

「異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が─すなわちイエスが─来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、購いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

ユダにはそのことが分からず、おそらくは人間的な思いで、ローマの支配からユダヤ人を解放するような、そんな王を望んでいたのでしょう、もしくは単に物質的な要求を満たすため、わずかな金のために、イエスを売ったのかもしれません。

私たちはなにをイエスに期待するでしょうか?

もし人間的な思いで、自分が望むことをイエスが満たしてくれると期待しているのなら、ユダのように失望し、あるいはイエスを裏切るようなことをするようになるかもしれません。

或いは自分の物質的な欲求を満たすため、わずかばかりのお金のために、イエスを捨て、自分のいのちをなくしてしまうかもしれません。

そうならないために、マリアのように、私たちはまず、イエスの言葉に聞くものとなるべきです。

イエスの言葉を聴き、イエスがこの世界に来たその理由を、真に理解することです。

「王」という漢字は棒を引いて、たて、よこ、よこ、と書きますが、この上の棒が天を表し、下の棒が地を表すそうです。そしてその間にいる人のことを「王」と呼んだそうですが、今、私たちの知っている「王」という漢字は、この人は十字架の形をしています。

それは僕の勝手な解釈なのですが、しかし、イエスは確かにそのような王です。

イエスはその十字架上での死によって、天と地、神と人とを結ぶ役目をしました。

この王を心に迎えるために、私たちには何ができるでしょうか?

祈りましょう。

今日、このイエスに頼って、イエスが自分の罪をおって、十字架に死んだことを信じるのなら、一緒に次のように祈ってください。

神様

わたしはあなたを無視して、あなたに逆らって生きてきました。

わたしはあなたに受け入れられる資格がありません。

どうか赦してください。

それなのにあなたはイエスをこの世界に送り、わたしの代わりに彼を罰してわたしの罪を赦してくださったことをありがとうございます。

わたしに希望が与えられるようにと、イエスがよみがえられたことをありがとうございます。

どうかこれから、あなたに聞きしたがってイエスを自分の王として生きていけるように、わたしを変えてください。

イエスの名によって祈ります。

アーメン


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Produced by Hajime Suzuki
Special thanks to my wife Louise for her constant encouragement and patience